2021年09月27日
🐻『あなたのまちを愛してね』峯山さん没後10年記念誌が話題❕小樽運河保存活動を振り返る機会に❕
🐻✋【小樽運河保存派をけん引 峯山さん没後10年記念誌、静かな話題 遺した言葉や思い 運動振り返る機会に❕】
小樽運河の埋め立てを巡る運河論争で、保存派をけん引した市民団体「小樽運河を守る会」の元会長、峯山冨美さん(1914~2010年)の没後10年を機に作られた記念誌「あなたのまちを愛してね―地域に生きる峯山冨美と私たち―」が静かな話題になっている。
峰山冨美(みねやま ふみ)さん
《峯山冨美さんとは‥》
真狩村出身の峯山さんは小樽運河が完成した翌1924年(大正13年)、9歳で小樽へ移り住んだ。小学校勤務を経て主婦として1973年(昭和48年)に小樽運河保存運動へ加わり、1978年(昭和53年)「守る会」2代目会長に就任。84年に会長を退くまで、埋め立てによる道路建設を推進する小樽市や経済界と論争を繰り広げた。
96歳で亡くなった峯山さんの人生を通じ、運河保存運動や全国の町並み保存活動に与えた影響を伝える内容。8月の製作以来、入手希望が相次ぎ、配布は1千部を超えた。改めて小樽観光に欠かせない運河の歴史を振り返る機会となっている。
峯山冨美さんと運河保存運動を共にした有志らが製作した没後10年記念誌。タイトルは峯山さんが生前に語っていた言葉から取った。
記念誌はA4判52ページ。峯山さんと共に活動した有志らが実行委をつくり、8月に市内で開いた没後10年企画展の一環で1500部製作した。 大きく4部に分かれ、《1》峯山さんの言葉や資料、写真を通した運河保存運動の歴史《2》峯山さんの人柄を伝えるコラム《3》市内外34人の寄稿《4》16年創設の「峯山冨美賞」の紹介―で構成している。
峯山さんの《言葉》は‥《著書》や《新聞記事》からで‥
2代目会長となった1978年(昭和53年)頃の『《女子供の運動》と揶揄(やゆ)されたが、女、子供で結構❕政治や経済の表舞台に決して立つことのない普通の人々による運動はやがて大きなうねりとなり、行政も無視できなくなる』や‥
1983年(昭和58年)11月に《小樽運河埋め立て❕》の《杭(くい)打ち工事》が始まった際の『保存を求める市民の熱意を踏みにじり、かたくなに埋め立てを強行する行政とはいったい何でしょう。運河に杭を打つことができても、運河を愛する市民の心に杭を打つことはできないのです』‥等を載せました。
運河を守る会内部の混乱もあり、峯山さんは1984年(昭和59年)に会長を退いたが、寄稿では‥ゆかりの人達からは‥(峯山さんは)『あきらめない人だった』『私心のない純粋(じゅんすい)な生き方が多くの若者を引き付け、動かし、誠実さの芽を育てた』等と評しました。
また、歴史的集落や町並みの保存・再生運動に取り組む全国の団体を表彰する《峯山冨美賞》も紹介しました。
小樽運河
企画展の実行委を構成する《小樽運河新世紀フォーラム》は‥今後の活動への《カンパ》を募っています。
《記念誌》の入手希望者は‥
小樽運河新世紀フォーラムのオー・プラン ☎️0134-29-1003へ
記事の一部引用:北海道新聞【🐻👍🎵今日の1曲🎵】
🎵『Raison d'être』 Chiru
🐻👍Chiru さんの新曲🎵です🎵
🐻👍single『Raison d'être』 が2月23日に発売❕されました。
🐻👍chiru さんについて…
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